祖母は花が好きな人で、彼女がいつもいるリビングからはその季節に咲く花々がよく見える。
わたしの実家は、もうずっと前から土の地面はなく、敷地のすべてをコンクリートで覆っているのだけれど、祖母はたくさんのプランターで花を育てている。
それは、9月の終わりごろ。
祖母のプランター花壇を眺めながらおしゃべりをした。
この花は…と花の事を教えてくれる祖母。
わたしはそれとはなしに、花々に視線を移していく。
するとそこには、淡い紫いろの花が。
綺麗だなぁと思った。
この花は?と聞いてみたけど、名前はわからない、でもキレイでしょうと祖母は笑顔で答えた。
名前はわからないけれど、この花は球根を植えて育てたという。
それを聞いて、あっ…と思った。
「そうだ、おばあちゃんから球根をもらおう」
それは、素晴らしい名案だった。
わたしは世間一般でいうところのおばあちゃん子で、今も昔も祖母と一緒すごしている。
小さいころから母は忙しい人だったから、どんなに幼い頃の記憶をたどっても祖母と一緒に過ごした記憶がほとんどだ。
どんな悩みも祖母に話すし、くだらないことも大笑いしながら一緒に楽しむ。
昔は神経質で厳しかった祖母。
今ではその厳しさは影をひそめ、寛容さと優しさで私の心に寄り添ってくれ、いつだって甘えさせてくれる。
そんな祖母はもう80代も後半で。
こんなことは考えたくないし、遠い未来であってほしいけれど、いつかは。
だって人間だもの。
生を受けたその日から、誰もが最後はお別れを。
そんな思いがここ数年少しづつ、じんわりと深まって、時折心の奥底から顔を出す。
いつかお別れをしなくてはいけないのなら、せめて何か。
祖母を強く思い出せる、何か。
離れてしまっても、近くに感じられる、そんな物があったらいいのにと、ずっと思っていた。
聞けば、球根は毎年分球して増えていくという。
祖母から受け継いだ球根をわたしが育て、毎年花を咲かせ、増やしていく。
祖母は花が好きな人だから、きっと喜んでくれるだろう。
それは何よりも祖母を思い出す、素晴らしい形見になる。
しかも、毎年育て、増やし、命をつないでいくことができる。
祖母は11月に入ったら、プランターの球根を掘り起こすという。
その時に、この紫色の花とチューリップの球根をもらう約束をした。